快進撃を続ける岡田タイガース。相手のミスにつけ込み、一気呵成に勝負手に出る戦い方は、日本一を成し遂げた1985年シーズンによく似ているかもしれません。この勢いを止めず、交流戦も勝ちまくってほしいですね!
【虎のソナタ】今季の虎は「1985年と似ているんですよ」 相手のミス逃さず生まれるビッグプレー
(サンケイスポーツより)
近畿地方も梅雨入りした。大阪・湊町の編集局の窓際に座って外の様子を眺めているとき、ときおり手元の電話機が鳴る。普段はデスクや庶務のトクコさんらがササッと出てくれるが、この日に限って席を外していた。小欄でどうなるというわけでもないんだが、恐れ多くも腰を上げた。
「もしもし…」
男性の声がした。
読者さまからの電話の内容はさまざま。紙面に関する貴重なご意見もあれば、天気が悪い日などは阪神の試合が開催されるのか、という問い合わせもある(スミマセン。試合開催の可否については分かりかねます…)。
「阪神のプレーを見て、思うことがあったんです」
われわれ、こうやって新聞を作らせてもらっているけど、知らないことばかりです。だからこそ取材し、なるべくわかりやすく楽しい紙面作りを心掛けているが、読者の皆さまから勉強させてもらうことが多いのです。
破竹の8連勝で交流戦を迎えることになった阪神。大阪・寝屋川市に住んでいるという男性は5月18日の中日戦(バンテリンドーム)の八回に演じた2つのビッグプレーについて語ってくれた。
「1985年と似ているんですよ」
中日戦の八回? はっきりと覚えている読者さまもいるだろうが、改めて振り返ってみることにする。八回2死一、二塁。村松の打球は左翼線へ。処理したノイジーは三塁へ、素早く送球し、一走・細川を補殺。二走・石川昂の本塁生還よりも早かったため、得点が認められなかった。
「確か後楽園球場だったと思います。昔、槙原をライトゴロに仕留めたことがあったでしょう」
85年5月20日。阪神打線は槙原寛己に手を焼いていた。六回、槙原にバットでも活躍される。チャンスで右前打。あぁ…中押しされたと思った瞬間、右翼の真弓が猛然とダッシュし、処理し、一塁へ矢のような送球。ライトゴロに仕留めた。
「バースがあらかじめ一塁ベースについていたんです。今回の中日戦でも佐藤輝はきっちり三塁ベースについて構えていましたし、計算されたプレーだったのでしょう」
槙原をライトゴロでピンチを脱出した阪神は七回に6得点。5点差をひっくり返した。ヒーローは真弓。好プレーの後、決勝弾を放っていた。
ノイジーのレーザービームの後には石川昂の〝怠慢走塁〟が指摘された。「甲子園の河埜の落球を覚えていませんか?」。同じく85年の巨人戦。4月16日。1点を追う四回2死一塁、佐野仙好が放った何でもないフライを遊撃手・河埜和正が落球した。阪神はそれを機に1イニング7得点。〝世紀の落球〟で一塁から全力疾走で同点のホームを踏んだのは岡田彰布だった。
85年11月2日。阪神が初の日本一で吉田監督が胴上げされた。その西武球場(現ベルーナドーム)にやってきた。前川が昇格即スタメンだとか。鳴尾浜で出発を取材した虎番・邨田直人は「森下選手と一緒にタクシーで駅に向かったのですが、表情が相当引き締まっていましたよ」とコーフン気味に伝えてきた。どれだけ貯金があっても、虎は手綱を緩めることはしない。岡田監督自身、現役時代に嫌というほど味わったから。さぁ、西武戦。パ・リーグよ、かかってこい!
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