2月に亡くなった吉田義男さんの「お別れの会」が開催されました。1つの勝利の重みを改めて感じながら、1つ1つの勝利を積み重ねていきたいです。吉田さんには、天国から今シーズンのタイガースの戦いぶり、見守って頂きたいですね。
【阪神よもやま話 元虎番の独り言】シーズン1勝目で涙した吉田義男さん 藤川監督の1勝目は?!
(サンケイスポーツより)
3月25日に「吉田義男氏お別れの会」が開催された。91歳で亡くなられたのが2月3日。春季キャンプがスタートした直後の訃報だった。
開幕直前の「お別れの会」。藤川監督らも1985年の日本一監督に捧げる優勝を誓ったことだろう。
吉田さんと開幕で思い出すのは1997年。10年ぶりにタテジマに袖を通して迎えたシーズンの開幕2戦目。6人の継投で、辛くも逃げ切って初勝利を挙げた。ウイニングボールを受け取った63歳の指揮官は、旧広島市民球場の三塁側ベンチ後列に座り、報道陣に囲まれた。当時の試合後の取材場所がそこだった。
筆者は監督のすぐ右隣りに座った。口火を切るのが役目だった。監督の顔をのぞき見て最初の質問をしようとしたら…
タオルで顔を覆ったまま、動かない。汗でも拭いているのか? いや、どうも様子が違う。やがて…
ウっ、ウッ
嗚咽に似た声が聞こえてきた。他社のトラ番キャップと顔を見合わせ、しばし沈黙が流れる。
やがて、タオルを取ると目が腫れていた。メガネをかけた指揮官の第一声は-。
「すいません。年甲斐もなく涙を流してしまいまして」
これにはウルっと来てしまった。
日本一になって胴上げされたのが、その12年前。絶頂の瞬間だった。ところが2年後には最下位に。マスコミから猛烈なバッシングを浴び、解任に追い込まれる。
マスコミ不信に陥り、新聞、テレビの評論、解説からは遠ざかった。甲子園へ足を運ぶことも控えた。
不思議な縁でフランス代表監督に就任。日本を、阪神を離れて、別世界の野球に没頭した。もう、日本でユニホームを着ることはないと思いながら。
それでも、常に耳にしたのが古巣の低迷。やがて、阪神球団はOBとしては最後の切り札として、吉田さんに監督を要請。悩んだ末に受諾した。まさかの3度目監督就任。
そして2試合目の初勝利。阪神の監督として、3466日ぶりの白星の裏には、監督を離れていた波乱万丈の10年間があった。走馬灯の通り過ぎたのだろう。そりゃあ、涙も出る。
シーズンの1勝目で涙した監督を見たのは、あの日は最初で最後。吉田さんただ一人。「広島の涙」は、記憶に深く刻まれている。
「人間、年を取ると涙腺が緩むんですわ。アンタもいずれ、そんな日が来まっせ」
後日、涙の話になると苦笑いを浮かべていた。
奇しくも、ことしの開幕は広島が舞台。いろんな偶然が重なってのことだが、最近の阪神は広島での開幕が極端に少ない。
直近の広島開幕は8年前の2017年。金本監督の2年目で、開幕戦はFA新加入の糸井嘉男が3打点の大活躍で勝利。ところが、2戦目は、今なおプロ野球ワースト記録として残る、両チーム合計28与四死球(27四球、1死球)というお粗末大乱戦の末にサヨナラ負け…と書いたら、熱心な阪神ファンなら「あぁ、あの年か」と思い出すのでは。
さらにその前の広島開幕は、吉田さんが涙した1997年まで遡る。約30年の年月の中で、2度しかなかった。
久々の広島開幕。藤川監督はまず泣かないと思う。普通は誰も泣かない。
でも、筆者は天に召された指揮官を思いながら、たった1勝で涙した指揮官のことを思いながら、迎えたいと思う。
3度目監督時代、吉田さんを「老将」「老将」と書き続けた筆者もことし、あの年の吉田さんと同い年になる。シーズン1勝目で泣けるかな?! そんな試合が見てみたい。
■上田 雅昭(うえだ・まさあき) 1962(昭和37)年8月24日生まれ、京都市生まれ。86年入社。近鉄、オリックス、阪神を担当。30年近くプロ野球を見てきたが、担当球団が一度も優勝していないのが自慢(?)
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