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今季大ブレイクの大竹、艱難辛苦のプロ入りを振り返る

今季大ブレイクの大竹、艱難辛苦のプロ入りを振り返る

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現役ドラフト最大の成功例と言われている大竹投手も、プロ入り時は苦悩しました。とてもプロのレベルではやっていけない、と揶揄された声に耳を貸すことなく、自分を信じて磨き続けた結果の大ブレイクだったのですね。

大竹耕太郎、紆余曲折のプロ入り「育成はあかん」早大監督に止められ…でも「行きたい」
日刊スポーツより)

阪神ナインの原点、足跡をたどる「猛虎のルーツ」。今回は先発の柱として18年ぶりのリーグ優勝、38年ぶりの日本一に貢献した大竹耕太郎投手(28)に迫ります。

ソフトバンクから現役ドラフトで新加入した今季は自己最多の12勝(2敗)をマーク。それでも早大からソフトバンク入りした17年は、育成4位指名でした。当時監督の高橋広氏(68=神戸医療未来監督)が、紆余(うよ)曲折のプロ入りを振り返りました。

 

アレの立役者の1人、大竹はプロ野球選手になっていなかったかもしれない。17年秋、ドラフト会議前の話だ。早大の監督を務めていた高橋氏のもとにソフトバンクのスカウトが会いに来た。大竹を育成で指名したいという話だった。

高橋氏 本人はどうしてもプロに行きたいと言うけど、私は『やめとけ』と。1回断るんですよ。ソフトバンクのスカウトを呼んで、『育成はあかん』って。その時は私が独断で断りました。

大竹は3、4年と不調だったが、2年時にはエースとしてチームを春秋リーグ連覇に導いた。11年ドラフトで塚田晃平投手が早大から初の育成選手として広島入りした例はあるが、当時は出番がほぼなかった控え投手。東京6大学の名門、早大で主戦を張った大竹を育成でプロ入りさせるわけにはいかなかった。

高橋氏 故障もあるしフォーム、ボール全体も悪かった。プロにいけるボールじゃなかった。(プロ入りしても)まず1軍には上がらないだろうし。(その上、早大のプライド的にも)育成とはまかりならんと。

進路も社会人の強豪を用意。次のステップからプロへ行ける道も残していた。

だが、大竹は育成でもプロへ行きたかった。誘ってくれているのが、地元九州で小学生の時からファンだったソフトバンクだったことも思いを強くさせた。

高橋氏 もう私も本人に話は伝えましたよ。一応、育成で話が来たけど断るぞと。『いや、自分は行きたいんですけど』。だけど、その時の力がなかったんで、(本人は)強くは言わなかったんですね。行けたら行きたいけど…みたいな感じだったんですよ。

申し訳なさそうに思いを伝えてきた教え子の顔を思い出し、懐かしそうに笑った。その後、故郷熊本で小学校の校長をしている大竹の父・紳一郎さんに電話した。

高橋氏 お父さんは社会人に行かせてくれと言うと思ったんだけど、ひとり息子だし、お父さんも『本人の希望で行かせてくれ』って言うもんだからね。済々黌のOBもぜひプロでって言うし…。

周囲の熱意、大竹の熱い思いに最後は折れた。

高橋氏 そら、私だって言われましたよ。『何で育成で出すんだ』っていうようなことはね。そう言われましたけど、(批判は)私が受けりゃいいことなんで。

野球部のOBや関係者の厳しい意見に矢面に立ち、最後は「早大のエースとしてのプライドは忘れるな」と快く送り出した。指名は育成でも下位の4位だった。

大竹はプロを意識し始めた3年から、球速アップに努めた。だがフォームが大きくなって、バランスを崩し、いろんな場所の故障にも泣かされた。だが、監督就任直後の2年時に絶好調だった姿は忘れられないという。1学年下には小島(現ロッテ)、3学年下には早川(現楽天)とプロでも活躍する左腕がいたが、数字では測れない球の強さがあった。

高橋氏 緩急はあるし、左打者の胸元に来る直球が強いんですよ。(3人の中で)一番球速はないけど、ブルペンの後ろで見ると大竹が一番“怖さ”を感じました。

プロ1年目で支配下登録を勝ち取ると、2年目は5勝をマーク。その後再び壁にぶち当たって3年間もがき苦しんだが、昨年12月の現役ドラフトが転機になった。阪神に移籍し、早大の先輩でもある岡田監督のもとで12勝を挙げて優勝に貢献。早大出身の阪神投手は球団初だった。80キロ台の超スローボールを何食わぬ顔で投げ込む姿をテレビで見ると「(プロ入りさせて)よかった」とあらためて思ったという。

高橋氏 年齢も重ねてきたし、壁にも何回も当たってきてるから、やっぱり強くなってると思いますよ。 持ち前のストイックさと研究熱心さがタテジマで開花。育成4位からの成り上がりに来季も期待が膨らむ。

 

■早大4年で学生コーチ 1年生で入って来たのが岡田彰布

○…高橋氏は早大4年で学生コーチを務めた。その時、1年生で入って来たのが現阪神監督の岡田彰布だった。「心身ともにタフな選手だった。リストが強くミートがうまい打者でした」。夏の長野・軽井沢合宿では10キロ体重が減っても、必死で練習に食らいついてきたという。昨年12月には岡田監督の大学同期会に特別参加で誘われ、阪神の指揮官復帰を祝ったという。

○…高橋氏は早大監督退任後、19年から神戸医療未来大(就任当時は神戸医療福祉大)の監督を務めている。「私が入った時は3部の4位だったんですけど。今の4年生から私がスカウティングしてきた。もう1部で戦っても、そんなに遜色ないと思いますけどね」。今秋の近畿学生2部リーグ戦中にそう話していた通り、リーグ優勝。入れ替え戦にも勝ち、来春は1部で全日本選手権出場を目指す。

◆高橋広(たかはし・ひろし)1955年(昭30)2月4日、愛媛県生まれ。西条で捕手として活躍。早大では同期に松本匡史氏、1学年下に山倉和博氏(ともに元巨人)らがいた。4年で学生コーチとなり、この年入学してきた岡田彰布らを鍛えた。鳴門工(鳴門渦潮)監督就任後は02年センバツ準優勝など、春夏通算8度甲子園に出場。教え子に元ロッテ里崎智也(日刊スポーツ評論家)、元阪神渡辺亮(現阪神スカウト)ら。14年のU18アジア野球選手権で日本代表監督。15年から早大監督に就任し、同年春秋とリーグ連覇。18年限りで退任後、19年から神戸医療福祉大(現神戸医療未来大)で指揮を執り、教授としても教壇に立つ。

 

▽阪神大竹 今思えば、大学の最後はひどい投げ方をしていました。プロへ行かせてくれた高橋監督も、周囲からいろいろ言われたと思う。だからこそ、絶対にプロで活躍しなきゃなっていうのはあったし、だから頑張れた。自分が無理言ったからこそ、中途半端には終われないと。節目、節目では今も連絡しています。

◆大竹耕太郎(おおたけ・こうたろう)1995年(平7)6月29日生まれ、熊本県出身。済々黌では2年夏と3年春に甲子園出場。早大を経て17年育成ドラフト4位でソフトバンクに入団し、1年目の18年に支配下に昇格。同年8月1日西武戦で挙げた初登板勝利は、育成出身の新人では初となった。22年オフの現役ドラフトで阪神に移籍。現状では、阪神で1軍公式戦に登板した唯一の早大出身投手。184センチ、87キロ。左投げ左打ち。今季推定年俸2000万円。

 

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