岡田監督の思い出といえば、真っ先にこの事件が頭に浮かぶ虎キチも多いのではないでしょうか。審判の微妙な判定を不服として選手をベンチに引き揚げさせたシーンは強烈でした。その後、マウンドに立つ久保田投手に「打たれろ! めちゃくちゃやったれ!俺が責任を取るから」と飛ばした檄は語り草となっています。
阪神・岡田監督が「アレからやろ」と振り返る〝放棄試合寸前〟事件【平成球界裏面史】
(東スポWEBより)
「アレからやろ。監督が試合中に選手を引き揚げさせたら、監督は即退場いう規定ができたんは」
阪神監督復帰の直前、雑誌の取材で会った岡田彰布氏は、懐かしそうに笑いながら振り返った。
ここで言う「アレ」とは優勝のことではない。18年前の平成17(2005)年9月7日のナゴヤドーム、優勝争いをしていた中日戦で、激高した岡田監督が選手全員をグラウンドからベンチに戻し、一時放棄試合も辞さない姿勢を見せた事件のことだ。
「アレは首位攻防の天王山第2戦や。前日に第1戦負けて、あの日も負けたら(2位中日との)差が1ゲーム(に縮まり)、勝てば3ゲームに開く。だから絶対に負けられんぞと、俺だけやなしに、コーチも選手もそういう状況で挑んでたから」
そう語った岡田監督の怒りに火を点けたのは、試合終盤に相次いだ球審による微妙なジャッジである。2―1と阪神の1点リードで迎えた9回表二死満塁、関本の適時打で3点目を追加したが、続いて本塁へ滑り込んだ二走の中村豊は惜しくもタッチアウトとなった。
中村豊が大声を上げて球審に食ってかかる。三塁側ベンチの岡田監督も立ち上がって吠える。
その興奮も冷めやらぬ直後の9回裏無死二、三塁。中日・谷繁の二ゴロの間に三走アレックスが本塁へ突っ込んだ。中村豊の本塁突入と同じようなタイミングだったにもかかわらず、今度は球審がセーフと判定。これで阪神は3―2の1点差に追い上げられてしまう。
リクエスト制度のない当時、いくら抗議しても判定は覆らない。収まりのつかない岡田監督は、選手をベンチに引き揚げさせた。審判団がベンチ前に出向いても頑として再開に応じようとせず、放棄試合が現実になるのでは、とも思われた。
そこへ当時の球団社長・牧田俊洋がやってきて岡田監督を説得。18分間に及んだ中断の末、試合が再開されたのだった。岡田監督はのちに、こう淡々と振り返っている。
「あのとき、罰金が3億円やって言われた。放映権、入場料、売店の売り上げとかでね。あ、それ、払わないかんねんって、ちょっとそういう感覚にはなった。勝ち負けだけやなしに、そんだけ迷惑をかけるという意味で」
3―3の同点にもつれ込んだこの試合は、延長11回表、騒動の発火点となった中村豊のソロ本塁打で、阪神が勝ち越し。直後のその裏、一死満塁と攻め立てる中日打線を、久保田が抑えて阪神が逃げ切った。この凄絶な試合が、阪神2年ぶりのリーグ優勝を決定づけたことは間違いない。
さて、大騒動の火種となった微妙な判定を岡田監督はどう思っていたのだろう。17年後の昨夏、こう解説してくれた。
「昔、阪神OBの審判のときは時々揉めてたんよ。あのときの球審も、橘高(淳、1981~83年、阪神に在籍)やろ。わかるんやけどな、心理はね。阪神びいきになったらいけないとか、OBやから余計に(そう見られる判定は)イカンっていう。微妙な判定やったけど、それ(橘高の心情)は俺にはわかるんや」
なお、橘高審判は2022年に史上19人目の通算3000試合出場を達成。ロッテ・佐々木朗の完全試合を裁くなど名審判として知られ、昨年で定年退職している。
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