何度も夢と希望を打ち砕かれた。それでも諦める事なく、一歩ずつ前に進み、気がつけば1軍のゲームに出場できる選手となっていた。鳴尾浜で学んだ事が土台となって、選手としての足がかりを作ってくれたのでしょうね。
【鳴尾浜通信・特別編】阪神・原口文仁が振り返る「鍛え抜いた日々」 語り尽くせない鳴尾浜での思い出
(サンケイスポーツより)
阪神の2軍施設、鳴尾浜球場が今季をもって30年の歴史に幕を下ろすことになり、9月25日に最後のウエスタン・リーグ公式戦となる阪神―ソフトバンクが行われた。最終戦に合わせて原口文仁内野手(32)はサンケイスポーツに手記を寄せ、鳴尾浜で培った日々を振り返ってくれた。今回は「鳴尾浜通信・特別編」として、9月25日付の紙面には収まり切らなかった原口の思いをお届けしたい。
名門・帝京高からプロの門をたたき、鳴尾浜の選手寮・虎風荘に入ったのが2010年。そこから歴代最長となる7年を虎風荘で過ごすことになるのだが、入寮直後の最初の衝撃は、プロの打者が奏でる打球音だったという。
「新人合同自主トレでたまたま林(威助)さんが打っているタイミングで鳴尾浜の室内練習場で一緒になったんです。そこで聞いた打球音がものすごくて『これがプロのバッティングなんだ…』と思いました」
木製バット特有の甲高い響きに耳を貫かれ、車なら10分ほどで着くはずの甲子園球場が、1軍の舞台がとてつもなく遠くに感じられた。どうすればたどり着けるんだろう。考えて、練習して、また考えて練習して…と繰り返したかったが、けがに阻まれた。腰を痛め、ある日を境にグラウンドにも出られなくなった。背番号も「52」から「124」になり育成枠になった。ストレッチを日課にし、なんとか痛みをコントロールできそうになったが、今度は鳴尾浜で行われたシート打撃で死球を受け左腕を骨折した。今、簡単に振り返れば「汗と涙がしみこんだグラウンド」という表現になるのかもしれない。それでも原口にとっての鳴尾浜は、このときまで「悔しさしか詰まっていないグラウンド」だった。
動けるときには、とにかく抱えきれない悔しさを練習にぶつけた。「そんな、胸を張れるほどはやっていませんよ」と笑うが、室内練習場で遅い時間まで誰かが打っている音がすれば、それはいつも原口だった。
その実直さは先輩たちにも届いた。リハビリや調整で鳴尾浜を訪れた大先輩たちが、原口を気にかけてくれた。下柳剛氏が細かな配球などを指南してくれたことは紙面でも紹介したが、城島健司氏(現ソフトバンク球団会長付特別アドバイザー)もその一人。ひたむきな原口の姿を見つけ、最初は俊介(現タイガースアカデミーコーチ)を通じて交流が生まれ、12年には長崎・佐世保での自主トレにも連れて行ってくれた。城島氏との〝裸の付き合い〟は、原口にとっては今も忘れられない鳴尾浜での思い出だ。
「引退報道があった日に自分は何もニュースを見ていなくて…。朝、虎風荘のお風呂に行ったら先に入っていたジョーさん(城島氏)が『グッチ、きょうで辞めるわ』と言うから、ひっくり返りそうになったんです」
他には、あの安打製造器の助っ人マット・マートンがけがをして鳴尾浜に来たときにも、原口はバッティングのことを聞きたくて質問攻めにした。先輩たちから受け取った一つ一つの教えが、糧になっていった。
後輩たちとの鳴尾浜での思い出も、語り尽くせないほどあった。2023年までチームメートだった北條史也氏(現三菱重工West)とのエピソードには、鳴尾浜での生活から1軍での戦いに挑んでいった「若手選手らしい苦悩」があふれていた。
「一緒に1軍でプレーできるようになってから2人でも話したんですけど、ジョー(北條氏)が入団してきて鳴尾浜の室内練習場でバッティングをしていたときのスイングがすごかったんですよ。めちゃくちゃフルスイングするので『これが甲子園でホームランを打つ高校生のスイングか…』と思ったんです(北條氏は光星学院高で12年夏に甲子園4本塁打)。それから1軍へ上がるような選手になると、良い悪いではなくて打撃スタイルも変わりますから。あそこまで強く振ることはなくなるので、ジョーとは『あのときはよく振れてたよなぁ~』なんてよく笑い合って話していました」
振って振って、もがいて、1軍でポジションをつかみかけて、手放して、またもがいて…。いつも鳴尾浜から出直して、立ち上がってきた。練習量のことを聞いても原口はいつも笑ってごまかす。大病からグラウンドに帰ってきた日も、周囲の涙をよそに一人だけ笑顔だったのと、少し似ている気がする。「自分にできることは何かと考えて、自分に負けなかったことだけは胸を張れますかね」。今すべきことを整理して、やると決めたら必ずやり抜く男。そんな原口を形作ったのが、鳴尾浜という場所なのだと思う。
阪神の24年の戦いは、原口のアーチとともに終わりを迎えた。12日から行われたクライマックスシリーズ(CS)のDeNAとのファーストステージで連敗し、岡田彰布前監督(66)のもとでの戦いが幕を閉じた。13日の第2戦、2-10となった九回に架けたソロアーチで、原口はガッツポーズをした。あんな場面でこそ打つと、自分がすべきことはそれだけだと決めていたんだろうなと、握りしめたこぶしを見て思った。
多くの虎党が声を枯らす、原口のヒッティングマーチは「ここに立つために 鍛え抜いた日々よ」と始まる。この曲について原口はこれまでも「鳴尾浜で過ごしていたときを皆さんに知ってもらえているみたいで、うれしいですよね」と語ってきた。「鍛え抜いた場所」は今季限りで移りゆく。それでもその「日々」は、決して色あせることなく記憶に刻まれていく。
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