藤浪晋太郎が万感の思いでタテジマに別れ

藤浪晋太郎が万感の思いでタテジマに別れ

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いい事ばかりではなかった。むしろ、苦しく辛い記憶のほうがはるかに多く残ったはず。それでも藤浪にとっては、一番好きだった甲子園で、惜別会見を行いタテジマに別れを告げました。海を渡っても、全力で挑戦を続けてください!応援しています。

藤浪万感「一番大好きな球場」甲子園で惜別会見 阪神で過ごした日々「すごく良い10年間だった」
スポーツニッポンより)

 異例の甲子園“お別れ会”だった。阪神からポスティングシステムで大リーグのアスレチックスに移籍した藤浪晋太郎投手(28)が21日、兵庫県西宮市内の甲子園球場グラウンド上で惜別会見に臨んだ。春夏連覇を達成した大阪桐蔭高時代から慣れ親しんだ「一番大好きな球場」でタテジマに別れを告げ、新天地での戦いを「挑戦」と表現して先発ローテーション入りへ決意を新たにした。

 惜別の舞台となったのは、なんと甲子園のグラウンド上だった。「甲子園の申し子」として愛された藤浪が母なる聖地で、10年間にわたって袖を通したタテジマに別れを告げた。

 「いい経験、つらい経験…いろいろありましたけど、全部ひっくるめて阪神タイガースの藤浪晋太郎でしかできなかった経験。阪神タイガースの藤浪晋太郎で良かった。いろんなことを含めて、すごく良い10年間だったかなと思っています」

 万感の思いを、言葉に乗せた。その脳裏には自らが甲子園で演じてきたプレーの数々が去来し、胸中ではファンから浴びた大歓声が思い起こされていた。

 「自分を育ててくれた球場であり、職場であり…一番思い出のある球場。一番大好きな球場。(会見できて)選手冥利(みょうり)に尽きます」

 高校3年時に春夏連覇を達成し、プロ通算85試合22勝17敗6ホールド、防御率3・31。初勝利を挙げ、初完封を飾り、161球を投げ、162キロを計測したのは、すべて甲子園だった。10年間で印象深い思い出に挙げたのも19年8月1日、甲子園での中日戦。「全然良くなかったのに大歓声をもらったのを今でも覚えています」。藤浪の野球人生は、甲子園とともにあった。

 会見中にはチームメートからの映像メッセージが大型ビジョンに流れ、「泣きそうです。一人やったら、たぶん泣いている」と胸を詰まらせた。年間シート見学会のため偶然居合わせたファンからの激励には手を上げて応じた。甲子園だからこその“演出”で送り出された。

 「スタートラインに立っただけなので、これから覚悟を決めて。アピールして勝ち取って、ローテーションを年間、穴を開けずに守ることが、自分の中では一番大事」

 惜別を終えると次なる戦いに目を転じた。今後も球団施設を使用して練習し、就労ビザ取得次第、渡米してスプリングトレーニングに備える。「自分にとっての挑戦」――。甲子園で阪神・藤浪晋太郎に終止符を打ち、甲子園からアスレチックスの「Fuji」として門出した。

 《藤浪と甲子園》
 【大阪桐蔭】初出場した3年春の選抜では1回戦で花巻東の大谷翔平(現エンゼルス)に投げ勝って勢いに乗り優勝。夏の選手権でも格の違いを発揮し、決勝の光星学院戦は決勝史上最多に並ぶ14奪三振。準決勝の明徳義塾戦から2試合連続完封で、史上7校目の春夏連覇を達成した。通算9試合9勝0敗、防御率1・07。
 【阪神】プロ3戦目の13年4月14日のDeNA戦で甲子園初登板初先発し、6回無失点でプロ初勝利。8月31日の広島戦まで5連勝で相性の良さを見せた。16年7月8日の広島戦では8回で自己最多161球の力投。21年4月16日のヤクルト戦では決勝弾を放ち、1450日ぶりの甲子園勝利。阪神の日本人投手で甲子園での決勝弾&勝利は73年の江夏豊以来だった。通算85試合22勝17敗、防御率3・31。

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