甲子園が、この日一番ともいえる拍手に包まれた。
試合開始前、一塁側ベンチからグラウンドへ姿を現したDeNA・藤浪晋太郎。その瞬間、阪神ファンは敵チームのユニホームをまとった右腕へ惜しみない拍手を送った。2012年ドラフト1位で入団し、数々の熱戦を演じた聖地。メジャー挑戦を経て再び甲子園へ帰ってきた背番号は変わっても、阪神ファンにとって藤浪は今も特別な存在だった。
試合前には古巣の選手たちと言葉を交わし、笑顔ものぞかせた。しかし、プレーボールが告げられると、その空気は一変する。マウンドに立つ藤浪と打席に入る阪神打線。互いを知り尽くした者同士だからこそ、一球一球に独特の緊張感が漂った。
阪神の先発は高橋遥人。故障を乗り越え、今や先発ローテーションを支える左腕もまた、首位攻防戦という大一番を任されていた。
先制したのはDeNAだった。
一回二死二塁。エンカーナシオンが右翼線へ鋭い打球を運び、先制の適時二塁打。高橋はいきなりリードを許したものの、その後は冷静だった。持ち味の伸びのある直球と切れ味鋭い変化球を低めへ集め、大崩れすることなく試合を立て直していく。
一方の藤浪も、久しぶりの甲子園とは思えない堂々たる立ち上がりだった。
最速150キロ台のストレートは阪神時代を思わせる威力を保ち、鋭く落ちるスプリット、スライダーを織り交ぜながら打者を押し込んでいく。
もっとも、阪神打線も簡単には屈しない。
初回、近本光司と森下翔太が出塁し、いきなり一死一、二塁の好機を迎える。しかし、佐藤輝明、大山悠輔が連続三振。続く二回も満塁まで攻め込みながらあと一本が出ない。
それでも、阪神ベンチに焦りはなかった。
「藤浪の球は確かに走っている。しかし球数は増えている」
そんな空気がベンチ全体に漂っていた。
打者は簡単に打ちにいかず、ファウルで粘る。四球も選ぶ。一打席ごとにタイミングを修正しながら、少しずつ藤浪へプレッシャーをかけ続けた。
その粘りが実を結んだのは三回だった。
二死満塁で打席へ入った伏見寅威が、右前へ鋭く運ぶ適時打。阪神が1―1の同点に追いつき、甲子園がようやく大きく沸いた。
この日、伏見は3安打1打点。派手さこそないが、試合を通して阪神打線の流れを作り続けることになる。
一方、高橋も尻上がりに調子を上げた。
二回以降はテンポよくアウトを積み重ね、要所では力強い真っすぐで押し込む。走者を背負っても表情一つ変えず、六回まで最少失点で切り抜けた。その落ち着いた投球は、エースの風格すら感じさせる内容だった。
もっとも、試合はそう簡単には阪神へ傾かない。
伏見が口火、大山が決めた 阪神打線が六回に一気の逆転劇
六回表。
DeNAの主将・牧秀悟が高橋の一球を完璧に捉え、左翼席へ運ぶ16号ソロ。
再び1点を追う展開となり、甲子園には一瞬重い空気が流れた。
しかし、その裏だった。
先頭の伏見が内野安打で出塁すると、代打・坂本誠志郎がきっちり送りバントを決める。
近本の適時打でまず同点。
さらに中野拓夢が続き、森下の打球を遊撃手が失策。
満塁となって迎えた大山悠輔が、センター前へ勝ち越しの2点適時打を放った。
試合前、「藤浪と対戦するのは感慨深かった」と語っていた大山。
この日は藤浪から快音こそ響かなかったが、交代した投手から確実に仕事を果たした。4番・佐藤が苦しむ中、5番としての役割を全うした一打だった。
阪神が4―2。
ようやく試合をひっくり返した。
六回に逆転を許したDeNAだったが、そのまま引き下がるチームではなかった。
七回から阪神は継投へ入る。
先発・高橋遥人は6回を投げ切り、8安打2失点。牧秀悟に浴びた一発こそ悔やまれたが、毎回のように走者を背負いながらも粘り強く試合をつくった。大量失点を許さず、接戦へ持ち込んだ左腕の力投は、勝敗以上に大きな価値があった。
二番手・工藤泰成がマウンドへ上がると、DeNAはすぐさま反撃に転じる。
先頭の蝦名達夫が左前打で出塁。続く宮下朝陽の打球を中野拓夢が送球ミスし、無死一、二塁とチャンスを広げる。
送りバントで一死二、三塁となると、勝又温史の内野ゴロの間にまず1点。さらに二死二塁から、この日最も存在感を放っていた牧が左翼線へ鋭い二塁打を放ち、二走を迎え入れる。
4-4。
わずか一イニングで再び振り出しに戻された。
逆転した直後だけに、阪神にとっては嫌な展開だった。それでもベンチに慌てる様子はない。藤川監督はベンチから静かに戦況を見つめ、選手たちも落胆した表情は見せなかった。
「もう一度取り返せばいい。」
そんな空気が自然とチーム全体に漂っていた。
七回裏は三者凡退に終わり、試合はいよいよ終盤戦へ突入する。
八回表、阪神は岩崎優を投入。ベテラン左腕は先頭から二死を奪い、試合を落ち着かせるかに思われた。
ところが二死走者なしから、松尾汐恩の打球を右翼・森下翔太がまさかの落球。打球は転々とし、松尾は二塁へ到達する。
甲子園がどよめいた。
森下は思わず天を仰ぐ。自らのミスで勝ち越しの走者を得点圏へ進めてしまったからだ。
しかし、ここで阪神は崩れない。
岩崎は気持ちを切り替え、続く蝦名を左飛に打ち取る。
ベンチへ戻る森下の背中を、ナインは誰も責めなかった。
長いシーズンにはミスもある。
大切なのは、そのあとどう取り返すかだった。
その答えは、すぐ次の攻撃で示されることになる。
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ミスを乗り越え、勝負を決めた森下の一打
八回裏。
DeNAは剛腕マルセリーノをマウンドへ送り込む。
阪神は先頭・近本光司。
この日二本の安打を放っていたリードオフマンが、初球から積極的に振り抜いた。
打球は右翼線を真っ二つ。
二塁打。
甲子園が一気に色めき立つ。
続く中野は迷いなく送りバントを決め、一死三塁。
ここで打席には森下。
つい数分前、自らの失策でチームを苦しい立場へ追い込んだ男だった。
歓声と静寂が入り交じる甲子園。
森下はゆっくりと打席を整えた。
派手な一発はいらない。
欲しいのは、たった一点。
外野へ運べば十分だった。
その思いを乗せた打球は右翼への大きな飛球となる。
右翼手が捕球すると同時に、三塁走者・近本がスタート。
本塁へ滑り込み、セーフ。
森下の犠牲フライ。
阪神が5―4と勝ち越した。
数分前の失策を、自らのバットで取り返した。
派手なガッツポーズはない。
それでも一塁ベンチから飛び出したナインは、森下を笑顔で迎えた。
「チームで勝つ。」
その思いが凝縮されたような、価値ある勝ち越し点だった。
ドリス締め「総力戦」でつかんだ価値ある1勝
勝ち越し点を奪った阪神に残されたアウトは、あと三つ。
甲子園全体が立ち上がり、スタンドは総立ちに近い熱気に包まれる。夏の夜独特の湿った空気の中、5―4というスコア以上の緊張感が球場を支配していた。
九回のマウンドへ向かったのは、守護神ドリスだった。
今季ここまで何度も接戦を締めてきた右腕は、この日も落ち着き払っていた。マウンドに上がると大きく息をつき、キャッチャー・坂本誠志郎のミットだけを見据える。
先頭の宮下朝陽を中飛に打ち取り、まず一つ。
続く代打・度会隆輝には打たせて取る投球で二ゴロ。甲子園の歓声は一段と大きくなる。
あと一人。
最後の打者は、この日先制のホームを踏み、七回にも得点へつながる働きを見せた勝又温史だった。
一打同点という場面でも、ドリスは慌てない。
力任せではなく、低めへ丁寧にボールを集める。
最後は二塁へのゴロ。
中野が落ち着いて捕球し、一塁へ送球する。
アウト。
試合終了。
阪神が5-4で競り勝ち、首位攻防戦で大きな一勝を手にした。
ベンチを飛び出した選手たちは、まずマウンド上のドリスを祝福し、その輪はすぐに森下、大山、伏見、近本へと広がっていく。誰か一人の活躍だけでは勝てなかった試合だからこそ、喜びもチーム全員で分かち合うものだった。
この日のヒーローは、一人ではない。
三回に同点打を放ち、六回には逆転劇の口火となる内野安打を放った伏見寅威。派手な長打こそなかったが、3安打1打点という数字以上に、攻撃のリズムを作り続けた存在だった。
近本光司は三度出塁し、同点適時打と決勝のホームイン。リードオフマンとして、終始試合の流れを阪神へ引き寄せた。
大山悠輔は六回二死満塁という最も重い場面で2点適時打。試合前には「藤浪と対戦するのは感慨深かった」と話していたが、情に流されることなく勝負師として結果を残した。
そして森下翔太。
八回表の失策は、本人にとっても痛恨だったはずだ。それでも、その裏に犠牲フライで決勝点を挙げ、自らのプレーで取り返した。試合後も大きく感情を表に出すことはなかったが、その一打には4番としての責任感がにじんでいた。
投手陣もまた、それぞれが役割を果たした。
高橋遥人は六回2失点。決して完璧な内容ではなかったが、試合を壊さず、逆転できる流れをつくった。
工藤は同点こそ許したものの、リードを守ろうと真っ向勝負を貫いた。
八回を無失点で切り抜けた岩崎優には白星が付き、最後はドリスが貫禄の投球で締めくくる。苦しい展開でも継投で踏ん張り切ったことが、この一勝をさらに価値あるものにした。
一方、敗れたDeNAにも確かな収穫はあった。
何より、藤浪晋太郎の甲子園凱旋である。
4回2/3を投げ、5安打1失点、5奪三振。四球で走者を背負う場面もあったが、150キロ台の直球は最後まで威力を失わず、阪神打線を力で押し込む場面も少なくなかった。
試合後には「もっと長いイニングを投げたかった」と悔しさをにじませたが、その表情からは充実感ものぞいた。勝利こそ手にできなかったものの、古巣ファンから送られた温かい拍手は、阪神で積み重ねてきた時間が決して色あせていないことを物語っていた。
42,641人が見届けた甲子園の一戦。
藤浪の凱旋という特別な舞台で、阪神は先制され、追いつき、逆転し、追いつかれ、そしてもう一度勝ち越した。
苦しい場面で誰かがつなぎ、誰かが救い、最後は全員で勝ち切る。
優勝争いが佳境へ向かうシーズンにおいて、この5-4の白星は単なる一勝ではない。
チームの総合力、勝負強さ、そして逆境をはね返す粘り強さを示した、今季を象徴する一戦として、きっとシーズン終盤にも何度となく振り返られるゲームになるだろう。
